「悪魔の誘い出し役」

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Devil’s advocateという言葉を知ったのは、筑紫哲也氏が「悪魔の誘い出し役」との表現で紹介した文章でだった。事実に即して言えば、英語が嫌いな私はDevil’s advocateという言葉を「Devil’s [a-z]+」という形でしか記憶できず、頭に残ったのは「悪魔の誘い出し役」という筑紫氏の日本語表現だけだった。それでもその概念は強烈に感じられた。Twitterの出現のはるか前に書かれたものだけれど、初出はTwitterのタイムラインのように(ある意味で仕組みは逆だが)一定の「クラスタ」の人々がかたまる場だった。

権力やマスコミが悪いからだと激しいことばを連ね、罵倒するのは容易である。が、それで何が変るのか。悪者のレッテルを貼られた側がそれで改心することはまずない。ことの中心もそこにはない。問題は「悪者」のはずの側がしばしば世の多数派の支持、同調を得ることだ。なぜか。マスコミの誘導、操作という常套句は十全な答にはなっていないだけでなく、時にはそれを口にする者の知的退廃、空洞化をすら示している。自らの正当性を信じながらも、不幸にして少数派に身を置く場合には、その持てる知性と感性を鋭ぎすまして他者を説得しようとする覚悟がいるはずだからだ。その覚悟があって初めて他者(敵、相手、多数派)がどうしてそう考えるのか、そういう行動をするのかについての洞察力が必要だと思うようになるだろう。

筑紫哲也「自我作古〈9〉小言幸兵衛+悪魔の誘い出し人」『週刊金曜日』第9号1994年1月14日

筑紫氏は、こう説いたあと続けて、その場で「悪魔の誘い出し役(devil’s advocate)」をやってみようかと思っていると書いたのだった。

Devil’s advocateという語に対して、辞書は議論中にあえて異を唱える人という語釈を掲げ、一般的には「悪魔の代弁者」などと訳される。J.S.ミル『自由論』にあるこの語に、岩波文庫(塩尻公明・木村健康訳)は「何びとにせよ故意に自己の心にもない議論を提出する人々」を形容すると訳注で解説する。筑紫氏は「悪魔の誘い出し役」を「悪魔の側に身を寄せ、悪魔の聞き役となり、なぜ、何をやりたがっているかを引き出す役」としているから、これら一般的な理解を多少拡張したものといえるかもしれない。

当時創刊間もないこの雑誌は結果的に社会の中の少数派として異論を唱える役を担うことになるが、筑紫氏は「同感、同憂の士」が集うそのコミュニティーの中にあってこう書いたのだ。1994年の年頭は、細川政権によりこの雑誌の論調とは相いれない政策が推進され、また推進されようとしていた(もっともこれまで『金曜日』の論調と親和性のある政策が実現することはほとんどないくらいだったわけだが)。世情と読者投稿欄などに見られた局所的輿論を前に、筑紫氏はこの〝宣言〟の前からすでにそういう立ち位置にいた。

筑紫氏が癌に斃れ数年が経つ今も、私たちはともすれば見たいものだけを見て、物事を都合よく論じ、信じたいものだけを信じようとする。形式的にかもしれないが、それぞれがバランスをとっている建前のオールドメディアしかなかった時代ですらその傾向は強く見られた。電子掲示板の時代を経てソーシャルメディアの時代に入り、「マスゴミ」批判や「ネットde真実」といったフレーズに代表される考え方が広まるにつれ、いっそうそのことを意識することが増えた。見解を異にする他者を説得するよりも、相手の言い分や根拠から目を背け耳を塞ぎ、そればかりかバカにする言説が大手を振るっている。「知的退廃、空洞化」だろう。

私の視界に入る言説もある種の属性で凝り固まっている面がある。その中でも意識的にか無意識的にか単なる偶然か「悪魔の誘い出し役」を担ってくださる方がいる。大事にしたい。

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このページは、Meme-Memeが2012年6月24日 11:00に書いたブログ記事です。

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